seri::diary::graduate_school

大学院修士課程での研究生活について書いています

大学の先生との付き合い方

2018年6月23日

14年前、岩手大学に入学したばかりのころのオリエンテーションで「大学生活のいいところ」みたいな話をしてくれた先生がいて、いくつか列挙してくれた上で、最後に大学教授という変人を観察できることを挙げていた。詳しくは説明してくれなかったので何のこっちゃいと思ったし、実際岩手大学で自分が講義を受けたり事務処理でお世話になった先生方は、今考えてもみんなまともだったように思う。変わった人はいたが「お、変わってるな」ぐらいの感覚だった。自分が卒論で指導を受けた先生も、その他の同じ研究室内の先生も、今考えても大人としてまともだったように思う。指導教官については新卒で会社員として働いていた期間があるのでそのバックグラウンドも関係しているかもしれない。よって、大学の先生 ∈ {准教授、助教、教授、講師}はそこまで変な人じゃないしまぁふつうの人だよねという印象を持っていた。

一方、大学を出てから10年後に筑波大学で過ごしていて感じるのは、その考えは10年ぶりに微修正しなければならないということである。筑波大学も相当デカい大学であり、大勢の先生がいて、自分が接しているのはそのうちのごくごく一部に過ぎないということを分かっている。分かってはいるが、その狭い狭い観測範囲の中であっても、「それはどうだろう」という対応を、自分よりも10歳も20歳も年齢が上の人に対して感じるケースが、週に数回はある。自分に対してだったり、他の学生に対してだったり。そういう対応にイラ立って学生の間で愚痴っている場面には研究室内でもその辺の教室でもしょっちゅう出くわす。イラ立つだけならまだいいが、放っておくと鬱になって休学してしまう学生もいるらしいので、そういう先生の対応っていうのはもう少し大学側はケアをすべきではないかという気もしなくはない。ただ、大学というのはその辺の大企業以上に巨大で複雑な組織であり、個別の学生のケアにまで手が回らないのが実情だと思う。だからこそサークルに入ったり友達作ったりして上手くストレスを解消するための場所を用意しておく必要があるんだな、と10年振りに思った。自分も学部時代はギターアンサンブルのサークルに所属し、大学生協で学生にPCを教えるバイトなどをしていた。そこでの人間関係は確かにストレスからの退避場所として重要だったのだなと今にして思う。

話が長くなった。大学教授との付き合い方について書こうと思っていたのだ。油断すると昔話をしてしまうのはおっさんの悪い癖だ。
結論から言えば、自分は諦めている。
40歳、50歳にもなってこの状況であれば恐らくそこから性格や考え方を変えるのはもう不可能だと思っている。だから、そういう人間なんだなぁと思って真に受けずに、会話するときは必要なことだけを淡々と話し、必要以上の接触は極力避ける。それしかないのだ。どうせたかだか2年程度の付き合いなのだ。

それ以前に、せっかくの修士課程2年間を人間関係で悩んで潰したらもったいないというのが自分の考えで、自分にとって必要だと思うことに取り組まないとせっかくの時間がもったいないと思っている。俺の場合、自分の金と親からの援助で勝ち取った2年間である。無駄にはできないのだ。

一方で、そういう対応ができるのもある程度のおっさん力がある故になせるワザでもあるので、もし先生との人間関係で悩んでいる学生がいたら、「ああいう人は社会に出たら寧ろ少数派だから、ああなっちゃいけないっていう対象として見とくんやで」とケアできたらなぁと思っている。