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大学院修士課程での研究生活について書いています

煙に巻いているような気分になる

2019年1月17日

HPC研究会に投稿するための論文を書いているが、どうにも自分で書いている論文の説明がどんどんキナ臭く感じてしまい、なかなか筆が進まずにいる。

やる気がでない言い訳とかではなく、どんな風に書いても批判やツッコミが来そうだなという感情が湧いてきてしまい、不安になる。論文なんてのは本来、査読でボコボコに叩かれて生き残ったものだけがカンファレンスで日の目を見られる世界なのだろうから、人に見せる前から批判を恐れている場合ではないはずである。しかし、それにしても自分からみても大した内容ではないことが分かっているため、どうにもそれをちゃんとした研究であるかのように説明することに積極的になれないでいる。

そもそも良い研究とはなにか?ということも良くわからない。良いソフトウェアとは何か?という問いに答えがないように、恐らく答えがない類の問いなのだろうけど、実装したコードの行数とか実験にかけた時間とか、そういう定量的なもので測れるものではない以上、良くわからなくなってくる。別段、自分は研究者になるつもりは全くないので出来が良かろうが悪かろうが今後の人生に及ぼす影響は大きくはないだろうけど、今やるべきことが研究しかないため、それについて成果が出ないというのは自分自身の否定であるかのような心持ちになる。実際、弊研究室では研究成果が全てである。引いては大学という場所がそもそもそういう場所であり、やはり研究を志した人間だけが大学という場所に来るべきなのではなかろうかという、散々自問した問題にまた回帰してしまう。